プ ロ フ ィ ー ル


廃品回収の小学生時代
  小学校高学年になり電化製品の中身に興味を持ち、毎月の粗大ごみの日を楽しみにしていました。
  当時は道路わきの決められた場所へ出しておいたものを業者が回収という方法だったので、嫌がる
  友達に頼み込んで家電品を家に持って帰るのを手伝ってもらっていました。
  家で中身を解体して部品を収集していました。 いつも母親からひどく怒られていました。
中学・高校時代
  中学校では電子工作と洋楽にのめり込んでいました。 ある日、友達の家に行ったとき屋根上で大
  きなアンテナが回転しているのを見てすごく感動してしまい、これがアマチュア無線へのきっかけに
  なりました。

  このアマチュア無線が発端となり、通信学校へ進学。アマチュア無線部へ入部し平凡な毎日を過ご
  していました。 アンテナの不思議さに興味を持ち、製作や実験に明け暮れていました。
一回目の就職
  学校を卒業してすぐにテレビ受信施工会社へ入社。主にテレビの共同受信や電波障害対策CATV
  施設の工事に従事していました。
2回目の就職
  会社へ就職はしたものの、通信士という職業への夢を捨てきれず就職先を探していたところ、たま
  たま運よく、ある漁業用の海岸局に欠員という情報。 早速就職活動を開始して採用が決まりました。
  夢を抱いて入局はしましたが、学校で習ったことと現実とのギャップを感じ、6年間在職した無線局を
  退職しました。当時から漁業を取り巻く環境の変化と、第一級無線通信士(現、第一級総合無線通
  信士)の合格が最後の1科目不合格という結果に終わり、自分に絶望を感じすべて諦めました。
  この時の最後の1科目に合格できていたならば、また現在と違った人生を歩んでいたでしょう。
退局後〜現在
  無線局に在職中、危機感を感じていた私は、在職中に次の準備をしていました。
  あるご縁があって、会社を設立し通信工事に従事して現在に至っています。
1962年2月 福岡生まれ みずがめ座