10月4日(日)

懐かしいCALL BOOK

最近、何のホームページかわからなくなってきていますが、今日はアマチュア無線に関係のあることを書きます。

山城の跡で、明治10年西南戦争の最後の激戦地となったところです。また、樹齢約400年にもなるクスの大木など、約600種余りの植物が密生して

自分の物置を整理していると、いろいろな物が出てきました。中にはまったく記憶にないものもありました。古い工学書や参考資料、国家試験受験

10月19日(月)

森鴎外

今日は佐賀県唐津経由で多久市まで

現在はビル街になっていますが、当時の様子を想像したりして、今日は少しだけ文化的な日でした。

開館は10時〜16:30(月曜日と祝日及び年末年始は休館)だそうです。

で使用していたノートなど様々。懐かしくて片付け作業をつい、中断。 昔自分が記述した工学の内容を読み返していましたが、理解できないというか、

今日は朝から福岡県北九州市へ仕事に行った。お昼になり、繁華街を歩いていると、偶然「森鴎外旧居」と記した

仕事で移動しました。

いるそうです。 昭和6年6月「史跡・天然記念物」として国の文化財指定を受けていると解説がありました。

すっかり忘れてしまっている内容が多かったです。今なら絶対合格できませんね。

看板が目にとまった。その説明書きには下記のように記されていました。

その中で、自分にとって価値ある物が二つありました。一つは、アンテナを作成して実験で得たデータです。若い頃知識がないなりによくやったもんだ

あります。近くには厳木温泉なども

R203号線沿いに「道の駅厳木」が

10月22日(木)

鹿児島市 城山公園

と、当時を思い出しました。もう一つは、30年前のワールドコールブック!

「明治、大正を代表する作家森鴎外は、旧陸軍第12師団軍医部長として明治32年6月

あります。

紙の色も変色し、年代を感じさせます。また、宣伝広告も当時の最新鋭

今日は仕事で鹿児島へ行きました。

から同35年3月まで小倉で勤務しました。

になると。回転して向いている方向が

左の写真の女神様?は一定の時間

機器ばかり掲載されており、当時の機器が話題になっていたことを覚え

約束の時間より早く着いたので、城山公園へ

その期間の前半1年半を過ごしたのがこの家です。一部は改造されていますが、ほぼ

変わる仕組みになっています。

ています。 時間は確実に流れています。

いました。

桜島と鹿児島市が一望でき、綺麗に整備されて

展望台には、役所の人?らしき方が観光客に

ここへ来た理由などアンケートをされていました。

掲示物によると、明治23年鹿児島市初の公園

として開設され、展望台は高さ107mでだそうです。

この城山は14世紀(南北朝時代)豪族上山氏の

ずいぶん前になりますが、そのことを

当時の様子に復元されています。

鴎外はこの家で軍務のかたわら、『即興詩人』などの翻訳をしました。また、のちに

知らなかったとき、行きと帰りに寄って

発表された小説『鶏』はこの家を舞台にしたものです。

自分の錯覚だと思っていました。



百円札などを混ぜてくれるそうです。

直径が見た目、2mを超える樹木もありましたが、どれが樹齢400年かわかりませんでした。人間は400年も

北九州市教育委員会」

道の駅 厳木と女神?

10月27日(火)

生きることができませんが、樹木は雨風にさらされて生きているんですね・・・。

公園には、遊歩道が設けられていました。私が少し興味を引かれたことは、駐車場付近に売店が並んでいるのですが、買い物をすると、お釣りに旧